和泉 式 部 日記。 CiNii Articles

そして和泉式部は、世間から見たら「天皇の息子兄弟と次々と付き合う女」。 鴨長明が『無名抄』で和泉式部と赤染衛門をくらべ、人柄はいささか劣るものの歌ではやっぱり式部だと書いたことも、さすがに長明ならではの判釈である。 されど、 人はいさわれは忘れずほどふれど秋の夕暮れありしあふこと とあり。

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「自粛嫌い」のぼくも、さすがに家族からもスタッフからも「自制」を勧告されていて、この2週間の仕事の半分近くがネット・コミュニケーションになってきた(リアル2・5割、ネット参加7・5割のハイブリッド型)。 そう想うと、ああ千年かと溜息が出るのだが、いまからちょうど千年前が一〇〇一年である。

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【著者プロフィール】 佐伯梅友(さえき・うめとも) 明治32(1899)年、埼玉県比企郡小川町に生まれる。 それは7割がたは「本」による散策だ(残りはノートの中での散策)。 和泉式部は女房三十六歌仙にも選ばれた平安時代中期に活躍した歌人です。

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かくて居たればあぢきなく、こなたへもさし出で給はぬも苦しうおぼえ給ふらむ」とのたまふに、「いとぞあさましきや。

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リアル参加も受け付けたので、三菱の福元くん、リクルートの奥本くん、大津からの中山くんら、5人の塾生が本楼に駆けつけた。 このように見てくると、式部が「擬態としての歌日記」をつくれたのは、帥宮が死んで後宮に入るまでの、ごくわずかなあいだだけだったということがわかる。

「本」と「服」とは、ぼくにはぴったり同じものなのだ。 今で言えば、浩宮と付き合った後に秋篠宮と付き合う、みたいなことなのですから(まぁちょっとは違いますけど)、話題性はたっぷりです。

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第一段婚姻 [ ] 和泉式部19歲時嫁給比她年長17歲的下級貴族為正妻,次年生下女兒。

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